ADHDかもしれないわたしのうつ闘病~さまよい続けた初期

30代半ばになって「ADHDかもしれない」と気付いたわたしの振り返りです。
うつと診断され、休職することになりました。

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有無を言わさず休職へ

会社を休み始めて10日ほど経ち、会社から指示が出たこともあり僅かに残っていた気力を振り絞って心療内科に向かいました。

食事が採れないこと、起きられないことなどを簡単に話しただけで「うつだ」と診断され、休職が必要との診断書を出して貰いました。

会社に行ける気がしなかったので、診断書を出してもらえたことに安堵したことを覚えています。

記憶があやふや

休職中の初期は、残念ながら記憶があやふやでよく覚えていません。
集中力が無いどころか時間も関係なく寝ていたので、今日がいつか、何時かが判っていませんでした。

実家に帰省するため電車に乗る気力もわかず、最初はひとりで過ごしていました。

食事もまともに取っていなかったので、3ヶ月で10kgほど体重も落ちてしまいました。

主治医をあまり信用していなかった

検査も何もなく、少し話しただけで診断されたので、「本当にうつなのか?」「他の病気じゃないのか?」などと思っていました。

主治医をあまり信用していなかったのだと思います。

予約せず気が向いたときに通院

訪ねた心療内科は、いわゆる「5分診療」のタイプです。

自分がうつかどうかの診断も含めて、セカンドオピニオンを検討したこともあったのですが、この医院にかかったメリットがひとつあります。

それは気が向いたときに通院することが許されたことです。

最初の数回は予約の希望を訊かれたのですが、何度かキャンセルを重ねると訊かれなくなりました。

それでも厳格な予約制を取っていなかったので、気が向いたときに行けました。

時間にルーズな私があきらめずに通い続けられたのはこのシステムのお蔭だったと今では思います。

薬は飲んでいなかった

お薬手帳を振り返ると、最初はレクサプロを処方されたことになっています。

昼も夜も関係なくひたすら寝ていた上、食事もままならなかったので、薬を飲むタイミングを逃してほとんど飲んでいませんでした。

レクサプロは結果的にあまり効果が無かったのですが、心療内科の薬は初めてだったので効果の有無さえ判りませんでした。

「明日になったら大丈夫」

根拠もなく、ベッドの中で「目が覚めたら大丈夫、出かけられる」なんて思い込んでいました。

「明日こそは」「明日こそは」が毎回続いて、数か月経過していきました。

傷ついた光トポグラフィー検査

「うつとは何なのか」と思い始めた時に、光トポグラフィー検査を知りました。
セカンドオピニオンを求めていたことも有り、1万2000円の費用を払い、検査してもらいました。

結果は「双極性障害の傾向」だと言われました。

脳波のグラフを使って説明され、そのときは「そうかな」と思ったのです。

ですが、詳しくは書けませんが、その後のそのクリニックの接客ポリシーがとても不愉快で、辛い気持ちを更に傷つけられる対応をされてしまいました。

その結果、そのときもらった資料さえ信用できないと思い込み、その診断は1年以上経つまで見ることが出来ませんでした。

このとき、その結果を信頼して主治医に見せると、また違った診断をして貰えたのかもしれません。

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