ADHDかもしれないわたしの大学生時代(1/2)学生生活編~苦痛の始り

30代半ばになって「ADHDかもしれない」と気付いたわたしの大学生時代の振り返りです。
自意識過剰な部分と大きな劣等感とに挟まれ最も苦しい20代の始まりでした。

タイムマシンがあれば「ADHD」という症状を知った今の私が声をかけてあげたいです。

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有名大学に受かって「しまった」

実は、こんなへっぽこ文章を書いていますが(うまくなるぞ!)、日本中の人が知っているとある有名大学の卒業生です。

受かった当時は学校や塾、親戚中が祝ってくれ、あまり知らない近所の人からもお祝いされました。
模試の判定では5段階中の最低Eで実力は伴っていませんでしたが、作戦が良かったのかもしれません。

ただし、身の丈に合っていないのは明らかでした。

このとき、それなりに「良い子」で過ごしてきましたが、ここで完全に「デキるわたしでいなければならない」という思い込みをを身に着けてしまい、結果的にそれに押しつぶされてしまいました

周りに馴染めなかった

何人か友達は出来ましたが、周りの人たちとあまりなじめませんでした。
そのときは「育ちが違うから」などといった拗ねた考えを持っていました。

会話に全然付いていけないし、読むべき空気も判らないし、集団の中に居ても孤独でしかありませんでした
頑張らないと、と思うのですが、どの方向に頑張って良いのかわからず空回りでした。

毎日自主休講

授業は出席を取られないことを良いことに、ほぼ出ていませんでした。

遅刻はほぼ毎回で、1限を出席したことなんて6年間通って10回もないと思います。

何をしてたかというと、ほとんど家で寝ていました。

全然起きられなかったのです。このときになると、すでに親は諦めていたようです。

この時ぐらいから、自分と周辺の間に薄い膜がある気がして現実味の薄い日々でした。
怒られても怒られているという実感がないのです。

最近知りましたが、離人症と呼ばれる症状で、慢性疲労症候群の方に多いのだそうです。

部活で激怒された

体育会系の部活に1年だけ参加していましたが、歴史ある会合の儀式(応援を掛け合うようなもの)中、良い大人が真剣にやっていることがおかしくて、耐えられなくなり吹き出してしまいました。

当然のことながら、先輩たちに激怒されました。

今でも思い出すと申し訳なかったと思うと同時に、なぜ皆が真剣な顔をしてあれをできるのか理解できない私がいます。

6年かけて学部を卒業

案の定、ストレートでは卒業できず、2年追加してギリギリ卒業できました。
卒業できたのは奇跡の様なもので、今でも卒業できなかったときの夢を見ます。

勉強は嫌いではなかったのですが、集中力が持たず、文字数のあるレポート課題などは提出できたことはほぼなかったのではないかと思います。

ADHDと気付くまでの半生はコチラから♪

ADHDかもと気付くまで
幼少期から三十代前半、ADHDかもと気付くまでの生活をまとめました。