ADHDかもしれないわたしの高校時代~遅刻ばっかり

30台半ばになって「ADHDかもしれない」と気付いたわたしの高校時代の振り返りです。

遅刻が多くてだらしないが成績優秀な生徒でした。
刺激を求めて留学生活も送りました。

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高校では遅刻でクラストップ

高校生になり、自由な校風の学校だったので悪目立ちをしなくなりましたが、毎日のように遅刻していました。
親に起こされても二度寝三度寝は当たり前でした。
成績表には、成績は良好なのに、遅刻の回数だけ赤ペンで書かれていました。

成績は相変わらず良かった

高校に入ってからも、塾に行かなくても成績は上位をキープしていました。
勉強は好きだったので、好きなようにやってたら上位だった、という感じです。

ダサかった

私服通学の学校だったので、自分なりに毎日おしゃれを頑張っていたのですが、当時のクラス写真を見ると、びっくりするぐらいダサいです。

おしゃれな友達に「Camonneって信じられないコーディネートするよね」と真顔で言われました。そのときは褒められた、と思っていました。

海外留学

先ほども書いた通り中学の3年間に懲りて、3年間も同じところに通い続ける自信が無かったため、親を説得して1年間留学させてもらいました。
留学先では初めての「うつ」も経験しましたが、半年過ぎたあたりから割と馴染めて楽しく過ごせていたと思います。

ハンディを持つ子どもたち

英語圏に留学していましたが、あるとき学校の課外授業の一貫として知的障害のある子供たちを遊園地に付き添う、というボランティア活動をしたことがあります。
私の担当は、言葉が不自由な私に配慮され、歳が近く意思疎通が出来る子どもたちでした。

その時に気付いたことは、英語を使いこなせない私の方がハンディキャップを持っている、ということでした。

場所や環境が変わればハンディとなることは変わります。

言葉を例にすれば判りやすいと思いますが、今いる場所でハンディでも、違うところに行けばそうではないことは良くあることだと思います。

友達はいたが、グループが苦手

中学も高校も、友達の数は少なかったですが、仲のいい子は居ました。

グループでの活動にどうも抵抗があり、自然と1対1の関係の友人ばかりでした。
グループだとどのタイミングで話をしていいか判らなかったり、その場の空気を読まなければならないことが苦痛でした。

お陰で、クラスの枠に捉われない友人関係が出来ました。

意外と楽しかった時期

当時は思春期ですしいろんな感情が渦巻いていたと思いますが、好きなことをやれていましたし、今も付き合いのある友達が出来たりと、楽しかった時期なのではないかと考えています。

自由な学校だったので、多少勝手なことをしても許してくれる雰囲気がありました。
今から考えると、有り難い環境だったと思います。

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