ADHDかもしれないわたしの20代後半から30代へ~うつの世界へ

30代半ばになって「ADHDかもしれない」と気付いたわたしの20代後半の振り返りです。
綱渡りの状態が続き、とうとう転げ落ちました。

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バリキャリのつもり

20代後半で、2年弱海外勤務をしていました。
本人はバリキャリ(=バリバリ働くキャリアウーマン)のつもりでしたし、会社の人には「鉄の女」なんて揶揄されてました。

仕事面では現地ではかなり自由にやらせてもらったため大変でしたが割と楽しかったと思います。
お客さんには「詰めが甘い」だの怒られっぱなしでしたが。

ただ刺激が多かったので、日々に飽きるということはありませんでした。

人とわたしの差

海外勤務となって間もないとき、忙しくて、10個以上の段ボールから直絶物を取り出す日々。
どうしても部屋が片付かないため、紹介されたメイドサービスをお願いしたら一日で綺麗に片付いていました

仕事とはいえ、人ってこんなにできるんだ、と自分との差に気づいたきっかけになりました。

タレントの渡辺直美さんが、「私は片付けられないから」とプロの家政婦を雇っているそうですが、経済的な制約はあるもののその分業は正しいと思います。

うつを感じ始めたのは帰国後

うつっぽくなったのは帰国後です。
仕事が、初の本社勤務で苦手な数字を扱う業務になり、細かい神経が求められました。
それまでは大胆に進めていくことの方が多かったので、このギャップはなかなか慣れませんでした。

仕事が出来ないの連続

さらに、担当の仕事以外にもやらかし続けました。

  • 会議では妥協点が見つかりかけているのに変なことを言い出してしまった
  • プロジェクトを進めなきゃいけないのに関係者とうまく調整出来なかった
  • 直属の上司以外から指示を受けたがそれをやらなくてこっぴどく怒られた

周りの人からは、がっかりされたと思います。

アルコールに溺れる

仕事のストレスを解消する名目で、仕事帰りに、毎日のようにひとりで居酒屋やバーなどを何件かはしごして夜中までお酒を飲んでいました。
家に帰るのが嫌だったこと、お店ではいつもと違う風に振舞えること、酔うといい気分になること。
私の逃げ場はそこにしかありませんでした。

うつにニアミス2回目

全然前に進む感触がない日々が続き、じわじわと笑顔がなくなっているのは気づいていたものの、明日こそは大丈夫、明日こそはと思って、3年ぐらい経っていました。

とあるプロジェクトで完全に間に挟まれそこでアウト。
お酒どころかご飯を食べられなくなってしまいました。

一週間ほど会社を休んでしまい、精神科がある「XX内科」(健康保険に「精神科」や「心療内科」と残るのが嫌だった)を受診しました。
話すことを準備しすぎたからか、「ここは人生相談所じゃないのよ」と半ば怒られて終わりました。

このときのこと、下書きを書いている段階で涙が出てきます。
医者を責めてもしょうがないのは判っていますが、状況を聞き出してもらえていたら、すでに正常ではなかったはず。
何らかの手が打てたかも、と後悔してもしきれません。

だましだましも効かなくなり

その後も遅刻を度々繰り返しながら半年ほど出勤していました。
ですがある日風邪をこじらせて休んだ翌日、起き上がれない、会社に電話すらできない、ご飯も食べられない状態に陥ってしまいました。

そこからもう何もできなくなってしまいました。

クズはクズなりにがんばっていたけどもうそこで糸が切れてしまったんだと思います。

死にたいとは思わなかったがただ何も考えたくなく、ベッドの上で浅い睡眠を取り続けるだけでした。

会社は休職となり、とりあえず外出できる日に勧められるがまま近くの心療内科へ。

そこでうつだと診断されました。

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