ADHDかもしれないわたしの20代~苦痛を背負って走っていた

30代半ばになって「ADHDかもしれない」と気付いたわたしの新社会人の時の振り返りです。
1人暮らしが楽で仕方がありませんでしたが生活はルーズでした。
勢いで走っていましたが、様々な場面で苦しい日々だったと思います。

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初めての一人暮らし

天国でした。
好きなものに囲まれ、自分のペースで生活することがこんなに楽だとは思っていませんでした。

ただし、生活はだらしなく、寝室に布団とこたつ机とTV兼用のPCを置いていましたが、ほぼ床の見えない状態でした。

汚部屋に先輩を上げた

有機ごみはありませんでしたが、洗濯前の下着が放ったらかしになっている状況にも関わらず、飲み会の後送ってくれた先輩を部屋に上げてしまったことがありました。

「汚くてすみません~」などと言いながら優雅にレギュラーコーヒーを淹れて、もてなしているつもりでいました。

「下着!」などと指摘されましたが、愛嬌だと思ってもらえてるんじゃないか、などとイタい思考を持っていました。

今思うと、完全に引いていらっしゃったと断言できます。

あれだけ汚い部屋に人を呼ぶこと自体があり得なかったと思います。

単調だけど刺激があった仕事

新人の頃は仕事が楽しくてしょうがなかったです。
単調でしたがコロコロといろんな人に会う仕事だったので、表面的にはうまくつきあう能力のある私にとっては動きやすい居場所でした。

若い人がほかに居なかったので可愛がってもらえたことも良かったですね。

仕事では、遅刻ギリギリのことが多かったですが遅刻はほぼなかったんじゃないかと思います。
たまに体調不良と言ってずる休みはありましたたが問題になる程度ではありませんでした。

仕事への不満はあったが

ただ、こんな単調な仕事を続けているとダメになるんじゃないか、と不安にも駆られていて、仕事に関係ないところで資格の勉強などしていました。

その後も幸い、異動が多く次々にいろんなことをやったので意外と飽きずに5年ぐらい経過しました。

親からすると、「こんなに続くなんて思ってなかった」と言われました。
私としても、こんなに続けられるなんて、と思っていました。

彼氏は何人かいたが…

彼氏は居たのですが、付き合いだすと同時に息苦しくなりいつ別れようかを考えてばかりいました。
なので、あまり安定した関係はありませんでしたね。

「頻繁に会いたい」と言い張る彼の、1週間に1度会うといった約束が苦痛で、途中から遅刻したりドタキャンしたりしていました。

1人の時間に慣れてしまっており、自分の時間が削られることにおびえていました。

ネガティブ祭りのひとりの時間

1人の時は、基本的に家に引きこもっていて、テレビとお酒とコンビニご飯かデリバリーで時間を過ごしていました。

基本的に、平日仕事終わってからと、週末はエネルギーの腑抜け状態でした。

仕事つながりの友人は居ましたが、たまに誘われれば飲みに出かけるが、こちらから誘うことは皆無でした。

この一人の時間は、楽しんでいるようにも見えるかもしれませんが、やることなすことにネガティブな考えを持っており、「部屋を片付けしないなんて」「テレビをだらだら見るなんて」「お酒をだらだら飲むなんて」「コンビニご飯なんて意識が低い」「デリバリーなんて贅沢」のように、すべてを否定していました。

当時は、私もやる気になれば出来る!と思っていたのですが、やる気のある私と動けない私の存在にも気付いて、どうにかやる気を出したいが動けない、そんなジレンマに陥っていました。

すべての行動がそんな感じでしたから、ずっと苦しい思いをしていました。社会人になるとはそういうものなんだろう、と思っていました。

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