ADHDかもしれないわたしの小学生時代(1/2)学校編~大人から信頼された優等生

30代半ばになって「ADHDかもしれない」と気付いたわたしの小学校時代の振り返りです。
今から考えると本当に優等生な子どもで様々な問題を隠していたように思います。
まずは学校生活です。

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しっかり者のわたし

低学年のころからしっかり者で、成績も良かったため先生や友達の親から信頼されていたのを覚えています。

「○○ちゃんと一緒なら××行ってもいいわよ」と頼られるタイプでした。
そして私自身は頼まれ事などを「やって当然」なんて思っていました。

高学年になると児童会の役員なんかもやっていました。

実は「良い子」であるが故に、自分自身の影・マイナスの部分を隠し通そうとする癖があり、大人になるまで抜けませんでした。

成績は良かった

机上で行う科目は総じて成績が良かったです。100点取れないと「どうしたの?」と訊かれていました。
実はテストが簡単で仕方なくて、先生に心配してほしくてわざと間違えた解答を記入したことがあります。

勝手に勉強していた

成績が良かったのは授業を聞いていたからではなく、むしろ授業を聞かずにマイペースに教科書を読み進めていたからだと思います。
高学年になると、自分で選んだ問題集(『自由自在』がお気に入りでした)を繰り返し解いていました。

勉強をしている、というよりクイズ感覚でした。
ゲームに夢中になる子供がいるように、問題を解くことが楽しかったんですよね。

体育、図工、音楽は苦手

体育は着替えるのが面倒くさくて毎回「どうやったら休ませてもらえるか」を考えていたぐらい嫌いでした。
嫌いですから成績も悪かったです。

図工と音楽は好きでしたが、なぜか成績は悪かったです。

今考えると、先生が意図したものを作ったり歌ったりしていなかったのかと。
空気が読めていなかったのかもしれませんね。

ちなみに、習い事で音楽は十数年やっていました。
周りに比べて決して上手ではありませんでしたが、今でも人前で演奏するぐらいの技術までは習得しています。

いじめられかけた…が気付いていなかっただけかも

高学年に上がったばかりだったと思いますが、連続して通学用の黄色い帽子とトレーナーが無くなったことがありました。
当時、先生も驚いていたので、物を無くすことはしっかり者の私にとって珍しいことだったのだと思います。

授業を潰してクラス総出で探してもらうことになったのですが、そこまでされるほど優遇されていた訳ですから、目立っていたと思います。
今から考えると「いじめ」だったのかもしれません。
でも当時の私は全くそんなことを考えませんでした。

忘れ物は多かったです。
よく親に持ってきてもらっていました。

無くし物が多かったかについては覚えていません。
家の鍵を落としたことは覚えています。

小学生時代の全体を振り返って

この頃は、本当に「良い子」でした。
家庭ではお風呂に入らなかったり起きなかったりと欠点もありましたが、特に学校では先生達から絶大な信頼を得ていました。
自ら判るほど贔屓されていました。

いわゆる「多動性」は無かったと思います。
また、学校でも「良い子」である故に成績表には良いことしか書かれず、問題点があったとしても見過ごされていたのかもしれません

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